デカフェは桑名の焼き蛤

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2020 [2020年02月20日 23時00分]
ケー・イー・シー(三重県桑名市:産業廃棄物処理業)は、2013年に子会社の超臨界技術センターを設立し、技術顧問の後藤元信氏(名古屋大学)らと共に2016年よりコーヒー生豆の脱カフェイン技術の実用化に取り組んでいた。その脱カフェイン生豆を焙煎したコーヒーは、アンカフェシュクレ(楡井有子)やアンド・ケー(吉良剛)の店舗などで供され、また「DECACO」のブランド名でドリップバッグコーヒーが開発された。2019年にケー・イー・シーは超臨界技術センターから自社へデカフェ事業を移管して、1回150kgの生豆を処理するデカフェ和泉工場を発足、2020年1月28日に竣工式典が催された。日本初の超臨界二酸化炭素によるコーヒー生豆のデカフェ処理工場が桑名で操業を始めたのである。デカフェは桑名の焼き蛤(はまぐり)?
 
 デカフェは桑名の焼き蛤 (1) デカフェは桑名の焼き蛤 (2)
2020年2月18日、みぞれ降る中を車で桑名へ。まずは散策。桑名市街では春日神社と呼ばれる桑名宗社、桑名神社と中臣神社の二宇別拝並殿が面白い。桑名の水産業を見守る赤須賀神明社、もう一つの石取祭の拠点として興味深い。三八市を覘いてから桑名駅界隈のマンホールカバーを観巡る。
 
 デカフェは桑名の焼き蛤 (3) デカフェは桑名の焼き蛤 (4)
駅前再々開発失敗施設のサンファーレにある「nanairo coffee」(ナナイロコーヒー)で、牛すじカレーを昼食。セットドリンクのコーヒーを喫しながら、「カフェインのないコーヒーはコーヒーなのか?」(by山内秀文)という公案(?)を参究するが、解けない。
 
 デカフェは桑名の焼き蛤 (5) デカフェは桑名の焼き蛤 (6)
山内秀文・福島達男・山口崇の3氏と桑名駅西口で合流、ケー・イー・シーのデカフェ和泉工場を訪ねる。脱カフェイン技術のプレゼンを受けた後に、パイロット装置から生産機まで超臨界二酸化炭素によるデカフェ施設を見学。日本初のデカフェ処理装置を観て、処理法違い(スイスウォーター式・液体二酸化炭素式・KEC超臨界二酸化炭素式)のコロンビアコーヒーをカッピングで対照しながら、質疑と意見の交換を延々と続ける。その後も、座を「魚重楼‎」へ移して蛤会席料理を味わいながら、コーヒー談議を続ける。(深谷昌志・田熊寛司・澁谷健一の3氏をはじめケー・イー・シーの皆さまの歓待と案内に感謝の意を表します)
 
 《コーヒー豆からの脱カフェインプロセスがドイツで1978年にブレーメンの
  HAG社で実用化されて以来、 コーヒーや紅茶からのカフェイン抽出プ
  ラントが欧米で建設されてきている。コーヒー豆の場合は、生豆から水
  をエントレーナとして超臨界二酸化炭素でカフェイ ンを選択的に抽出
  した後に、焙煎により香味成分が生成して脱カフェインコーヒーが製造
  されるため、コー ヒーの風味を損なうことなくカフェインが除去できる。
  (略) …コーヒー生豆からのカフェインの抽出プロセスでは水で膨潤さ
  せた生豆から抽出することによりカフェインを除去できる。この場合は
  豆の中の水にカフェインが溶解し、固体表面まで拡散し、表面で超臨
  界二酸化炭素に溶解すると考えられ、水の存在が重要な役割を果た
  す。》 (後藤元信 「亜臨界・超臨界流体を用いた食品関連物質の抽
  出ならびに微粒子化」 2016年度日本食品工学会研究賞解説/
  『日本食品工学会誌』19巻1号 2018)
 
コーヒー豆に対する超臨界二酸化炭素による処理技術は、生豆については脱カフェイン処理に、焙煎豆については脂肪油と香味成分の混合物(香料素材)の抽出に実用されている。デカフェコーヒーの製造工程については、《生豆から水をエントレーナとして超臨界二酸化炭素でカフェインを選択的に抽出した後に、焙煎により香味成分が生成して脱カフェインコーヒーが製造されるため、コー ヒーの風味を損なうことなくカフェインが除去できる》と食品工学界では捉えられている。だが、コーヒー業界にとっての実態は必ずしも《コー ヒーの風味を損なうことなくカフェインが除去できる》わけではない。そこで、脱カフェイン処理を水か液体二酸化炭素か超臨界二酸化炭素か、いずれを用いると(未処理の生豆を通常に焙煎した時に近似して)風味を損なわないか、という論議がなされるわけだ。だが、この点においてコーヒー業界では、脱カフェイン工程前に生豆を水で膨潤させること(前処理)と脱カフェイン工程後に膨潤された生豆を乾燥(脱水)させること(後処理)を見落としがちである。前処理の膨潤では熱水に浸けたり蒸したりする場合があるし、後処理の脱水ではマシンドライの乾燥温度を高温にする場合がある。いずれも、脱カフェインの抽出効率と単位時間当たりの製造効率を上げるために、高温で処理したくなるのだろう。例えばグレインプロやらリーファーコンテナやら含水率計測やら恒温保管やらにうるさいコーヒー関係者にとっては、前処理(膨潤)や後処理(乾燥)での生豆の水分や熱による変性は卒倒するくらい‘致命的’(?)であるハズ。この点に目を向けずに脱カフェイン処理自体の手段を云々しているだけでは、《コー ヒーの風味を損なうことなくカフェインが除去》されたデカフェコーヒーに逢うことはできない、私はそう考えている。この見解は、今般のデカフェ工場見学の前後でも全く変わらなかった。
 
 デカフェは桑名の焼き蛤 (7)
実質に日本初であるケー・イー・シーのデカフェ和泉工場を訪ねて、私が新たに目を開かされたこともある。それは、脱カフェイン処理された(焙煎前の)豆が未処理の生豆に比して、経時による成分変化が想像以上に速いことだ。百聞も一見も利ありだなぁ…桑名で買ってきた「たがねや」のたがねと「柏屋」の安永餅を食べながら、桑名で遊んで飲んで学んだ一日を想い返した。デカフェは桑名の焼き蛤(はまぐり)?
 
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もっとバカ?

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2020 [2020年02月15日 23時00分]
休日の昼下がり、3杯目のコーヒーを喫しながら買い置いてある雑誌のページを捲る。『BRUTUS』(ブルータス)No.909(2020年2月15日号/マガジンハウス:刊)の特集「ブレンドとモーニングコーヒー もっとおいしいコーヒーの教科書」を読んで唸る。曰く、《サードウェーブの次は、ノーウェーブ? コーヒーはブームでは語れません》(p.20)、《ブームの背景を紐解きつつ、今、飲むべき一杯を紹介しよう》(p.68)…ブームでは語れないのにブームの背景を紐解く? 全く意味がわからない。ブルータス、おまえバカ? もっとバカ?
 もっとバカ? (1)
 
 《コーヒーはより自由になった。サードウェーブの浅煎りの衝撃から、揺り
  戻しのように深煎りを見直す焙煎家もいる。単一農園のシングルオリジ
  ン至上主義から脱却して、ブレンドで味を構築する焙煎家も増えている。
  そして、タイや台湾などアジアの若手生産者たちは、新しい地平を拓き
  つつあり、世界中の多くのロースターが注目している。かつてセカンド
  ウェーブの元祖だったヒッピーたちのたまり場〈ピーツ・コーヒー&ティー〉
  が標榜したように、自分たちが好きなコーヒーを提供する時代。ただし、
  を乗りこなした後だけに、生産者と繋がって、上質な豆が絶対条件。本
  当においしいコーヒーはもういつも、暮らしとともにある。》 (前掲
  『BRUTUS』No.909 2020年2月15日号 p.23)
 
この「サードウェーブが届いてコーヒーは自由になった。」(村岡俊也:文)という論は、二重の意味で間違っている。
まず、誰にとって《自由になった》(と、この雑誌で読ませたい)のか? 焙煎家? 生産者? 《自分たちが好きなコーヒーを提供する》? これは業界誌か? 飲用者がコーヒーを注文するに、‘ホット’や‘冷コー’の一言で済まされない。頼んでもいないのに好みをしつこく訊かれ、《生産者と繋がって、上質な豆が絶対条件》などと延々と講釈を垂れられる。 コーヒーを消費する者にとっては、「サードウェイブというバズワードが届いてコーヒーは不自由になった」のである。
次に、どこまでが《自由になった》(と、この雑誌で読ませたい)のか? インスタントコーヒーは? 缶コーヒーは? コンビニコーヒーは? 《生産者と繋がって、上質な豆が絶対条件》とは言い難いところの市場が、コーヒーのかなりを占めているのに。そして、それら(真の意味での)コモディティコーヒー市場までもが、偽りの‘高級’や‘贅沢’を強いられている。コーヒー市場の全体にとっては、「サードウェイブというバズワードが届いてコーヒーは不自由になった」のである。
このコーヒー特集における《自由になった》論は、「誰にとって」という視座を逆さに誤り、「どこまでが」という対象を偏り誤り、二重の意味で捉え違えているので‘教科書’どころか‘副読本’にも値しない。
 
 もっとバカ? (2)
雑誌『BRUTUS』(ブルータス)のコーヒーを取りあげる発想と企画は、地に落ちている。やれ‘新世代’だの‘サードウェーブ’だの‘進化’だのとこれまでさんざん煽っておいて、近来に情勢の変化が薄いとみるや「ノーウェーブ」だのと言を弄して「ブレンド」だの「モーニングコーヒー」だのを引っ張り出してきた、ちゃんちゃらおかしい。かつてのコーヒー特集には映画があり漫画があり気取った中にも自嘲して笑う余裕がまだしもあったが、今はもう‘いかにも’な業界人に牽強付会の題目を与えて書かせたり言わせたりするだけ、面白くもなんともない。《本当においしいコーヒーはもういつも、暮らしとともにある》、仮にそうだとしても『BRUTUS』とともには絶対にない。
『BRUTUS』のNo.612(2007年3月15日号)で「決定版! おいしいコーヒーの教科書」を、No.885(2019年2月1日号)で「おいしいコーヒーの教科書 2019」を、今般のNo.909(2020年2月15日号で「もっとおいしいコーヒーの教科書」を掲げたマガジンハウスは、もっともらしくも薄っぺらな言辞で世を煽るだけのデタラメな出版社である。呆れていると傍らのコーヒーもすっかり冷めて、雑誌を閉じながら呟いた…「意味のない雑誌だよ」。ブルータス、おまえバカ? もっとバカ?
 
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共振は草に覆われない

ジャンル:学問・文化・芸術 / テーマ:art・芸術・美術 / カテゴリ:観の記:美面 [2020年02月11日 23時30分]
2020年、日本の病院は厚労省にリストラを迫られ、命のやり取りをする医療は本来あるべき姿を見失った。そんな中、無い袖を振ってでも古い施設をいち早く建て替えた病院が現れた。例えば、小牧市民病院、コンサルを入れ、回転を上げ、収益を上げ、新病院を開院(2019.05)し、病院の事業管理者が日本病院会の顧問(前副会長)であるのも武器だ。…メロンです。請求書です。アートです。
 
 共振は草に覆われない (1)
 《2004年より、小牧市内にある大学と病院が協働し、アート・デザインを院
  内環境に組み入れ、活かすことに取り組んできた「やさしい美術プロジェ
  クト」。小牧市民病院が新病院に建て替わったことを機に、これまで院内
  で展示した作品や取り組みを振り返ります。(略) また「やさしい美術プロ
  ジェクト」が病院のみならず、障がいのある子どもたちが通園する施設や
  老人福祉施設、ハンセン病療養所などで取り組んできた活動も展観しま
  す。ひいては人の「痛み」を通して培われる創造性に着目し、その意義を
  問います。》 (「共振の術 やさしい美術の取り組み」案内)
 
「共振の術 やさしい美術の取り組み」 (小牧市まなび創造館 市民ギャラリー)
 (主催:こまき市民文化財団・名古屋造形大学・やさしい美術)
 
 共振は草に覆われない (2) 共振は草に覆われない (3) 共振は草に覆われない (4)
2020年2月9日、小牧市の再開発事業の残骸であるラピオの4階へ行き、「共振の術(すべ) やさしい美術の取り組み」を観る。本来の設置や開催から移されて活動報告として並べられた‘やさしい美術’は、気楽でやさしい。観ている私が制作時の‘ホスピタリティ’の対象の外にあるから、受容や共感を過剰に強要される‘圧’がない。この2次的展観は《人の「痛み」》から最も遠くて、‘術(すべ)’(=手段)として作品を無責任かつ無遠慮に眺められる。それが、気楽でもあり痛くもある。続いて、「やさしい美術プロジェクト」に取り組んできた髙橋伸行氏の話を聴く。衒奇の振りも偽善の臭いもなく面白い。
 
トークイベント「「やさしい美術」とは何か?」 (小牧市まなび創造館 多目的室)
 (講師:髙橋伸行)
 
〔以下、私的メモ〕 「何かしたい」と心が動く、理屈ではない。 患者より職員が病院にネガティブな印象。 小原村に住んで「全てのものがつながっている」。 足助病院から十日町病院へ〈アサガオのお嫁入り〉、交流が続いているワケじゃない。 初ワークショップ〈みぢかな絵画〉(残暑見舞い)で知名度は上がった、答えはない。 待合の照明アートは顔色が判りにくいと言われて撤去。 「えんがわ画廊」(病室ネームプレート)で利用者の調子が悪くなり撤去、脳外科医曰く「美術作品はこんなにも人の心に影響するんだ」。 モビールPj.の病室展示は安全性で断念。 他(ひと)の痛みを感じる─何万年もかけて培った回路だと思う。 地道な活動なので。
 
2020年2月11日、美和町(現:あま市)の蟹江川(上流の名は大江川)沿いの緑地リバーサイドガーデンへ行き、高橋伸行氏の作品〈Link〉を観る。氏の兄は悪性リンパ腫で1998年2月10日に亡くなった。兄の葬式の翌日に美和町の公園で穴を掘って制作した話を、2日前のイベントで高橋伸行氏が語っていた。制作期間中は通りがかりの住民らに、税金泥棒と言われ、俺は頼んでいないと詰(なじ)られ、傷痍軍人手帳を開いて半生を語られ、缶コーヒーを渡された、と。今ではもう作品は草に覆われているだろう、とも。で、22年後の姿を私は観たくなった。〈Link〉は草に覆われていなかった。
 共振は草に覆われない (5) 共振は草に覆われない (6)
 
 《やさしい美術プロジェクトは病院が主な活動場所であることから「癒しのア
  ート」「病院のアート」と言われることが多かった。実は私はやさしい美術
  プロジェクトを語る上で「癒す」という言葉はつかったことがない。施設の
  現場にいると、そんな言葉は簡単には浮かんでこない。これまで作品を
  作ってきた経験からの私の見解だけど、「癒される」ということはその人の
  中で起きることであって、「癒す」ということはないと思っている。》 (Web
  『ディレクター 高橋伸行のブログ』 「癒すという言葉は使ったことがない」
  2011年11月4日)
 
 共振は草に覆われない (7) 共振は草に覆われない (8)
リバーサイドガーデンを散策して、〈収穫祭〉(平間雅己)・〈View〉(江藤莅夏)・〈たまご〉(佐々木友紀)・〈トルソ〉(清原禎彦)・〈人体〉(岡本和也)・〈AKANESASU〉(紀平晃子)なども観たが、それらの中には草木で覆われている作品もあった。〈Link〉(高橋伸行)は、屋根付きベンチの影に覆われていたが草には覆われていなかった。‘共振’とは、‘リンク’(繋がり)ではあっても‘癒し’ではないのだろう。さて、病院のアートはメロンなのだろうか、それとも請求書なのだろうか? いずれにしても、‘共振’は草に覆われない…緑地のすぐ北側を名鉄津島線の赤い電車が通るのを眺めながら、そう想った。
 
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スーパーヅカン

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2020 [2020年02月08日 23時00分]
コーヒー本に「コーヒーの絵本」などはあるが、真っ当な「コーヒーの図鑑」は見当たらない。『ティー&コーヒー大図鑑 Café Marché』(辻調理師専門学校:監修 講談社:刊 2005)という本はあったな。図鑑(ヅカン)といえば、片山まさゆきの『スーパーヅガン』は麻雀漫画であって、同じ作者のコーヒー漫画はヅガンでもヅカンでもなくて『シャキシャキ・カフェ』だったしな。そんなことを考えながら図書館をうろついていたところ、ふと目に留まった本がある。タイトルに‘コーヒー’も‘図鑑’も入っていないが、コーヒー関係の表記はありそうだ…あった! これは面白い。
 
『イラストで見る世界の食材文化誌百科』(ジャン=リュック・トゥラ=ブレイス:著 土居佳代子:訳 原書房:刊 2019)
 
 スーパーヅカン (1)
『イラストで見る世界の食材文化誌百科』は、その名の通りに野菜・果実・穀物・肉類・魚介類 ・飲料などの食材を100近くの項目に掲げてイラストを多用して紹介している。だが、原著(2017)のタイトルは、“Les nouilles coréennes se coupent aux ciseaux: Miscellanees gourmandes et voyageuses”(ハサミで切られた韓国麺:グルメと旅行その他)であり、事典や図典というよりもコラム集に近い。文化ジャーナリストのJean-Luc Toula-Breysse(ジャン=リュック・トゥラ=ブレイス)の筆致の面白さは、日本語版でも感じられる。
 スーパーヅカン (2)
『イラストで見る世界の食材文化誌百科』において、コーヒーの項には「カルディ」も「オマール」も登場しない。けれども、「牝牛にコーヒーを飲ませて乳をしぼれば、カフェオレが出てくるだろ」という喜劇役者ピエール・ダック(1893-1975)の戯言を掲げ、イタリアでのコーヒーの飲み方にトリエステの「カーポ・インB」まで紹介している。省くところと説くところが一風変わっている。そして、7ページに渡るコーヒーの‘文化誌’(?)は、日本に関する記述で終わっている。
 
 《「イタリアンコーヒー」をこよなく愛し、フランスとイタリアに次いで三番目の
  輸入国である日本では、消費者はモカのすぐれた目ききである。1877
  年にはじめて輸入されたコーヒーは、漫画家の創作意欲も刺激する。
  『珈琲どりーむ』という作品は、ひらまつおさむと花形怜による5巻本の
  漫画で、茶商の息子の「悪魔の飲みもの」への情熱を語る。主人公は、
  すでにコーヒー愛好家である人々には産地別の豊かさを知らせ、未来
  の愛好者にはコーヒーの楽しみ方を指南する。また豊田徹也の『珈琲
  時間』は、アラビカの香り高い上質のコーヒーの味わいだ。コーヒー好き
  の人々のコーヒーにまつわるさまざまなストーリーや彼らの波乱に富ん
  だ人生を語るとともに、読者に焙煎の技法も教えてくる。》 (「日本でコー
  ヒーを飲むこと」/『イラストで見る世界の食材文化誌百科』 p.94)
 スーパーヅカン (3)
『イラストで見る世界の食材文化誌百科』でコーヒーを紹介する文は、抜くところと推すところが一風変わっていて、精確を欠くが異彩に溢れる。では、図鑑としてどうか? ダメ、話にならない。なぜならば、項題の上に掲げられているイラストが…コーヒーノキ(Coffea)ではなくてケンタッキーコーヒーツリー(Gymnocladus)! これほど致命的な錯誤は、腹立たしいよりも面白い出落ち?
 
 スーパーヅカン (4) スーパーヅカン (5)
さて、真っ当な「コーヒーの図鑑」は見当たらない。そういえば、2020年1月にWeb公開された「小学館の図鑑NEOメーカー」で「紅茶と珈琲」を作ってみたが、案外とアレを本当に制作してもらった方が手っ取り早いのかもしれない。そんなことを想いながら、図書館を去った。あの図鑑NEO「紅茶と珈琲」こそ、コーヒーの「スーパーヅカン」である。
 
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珈琲の道

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:日本珈琲狂会 [2020年02月06日 01時00分]
日本珈琲狂会(Coffee Lunatic Club of Japan:略称CLCJ)は、2010年の2月6日に生まれた。
2周年(2012年)には、‘Abbau’(アブバウ)をつくり新たな脱構築の幕開けを報じた。
3周年(2013年)には、「怪訝のコーヒー本」3冊を披露した。
4周年(2014年)には、コーヒーで世界を変えるなどとは言わないとして‘Kit Cru Cafe’(きっと来るカフェ)をつくった。
5周年(2015年)には、「半端な愛好者たるよりも徹するコーヒーのバカたれ」と告げた。
6周年(2016年)には、「たとえ人類とその社会を滅ぼしてもコーヒーに生きる」と宣した。
7周年(2017年)には、「苦くたってええぢゃないか‘珈琲駄物’(コーヒーだもの)」と発した。
8周年(2018年)には、コーヒーの真相は「苦(にが)い飲料」であると述べた。
9周年(2019年)には、コーヒーの実相は「ちゃらんぽらん」であると表した。
 
 珈琲の道 (1)
 この道を行けば どうなるのかと
  危ぶむなかれ 人の前に道はない
  ふみ出せば 人の後ろに道はできる
 ああ 自然よ 珈琲よ
  人を一人立ちさせぬ尊大な珈琲よ
  自らに目を背けさせて守ることをせよ
 この遠い道程のため その一足が道となる
 この遠い道程のため その一足が道である 
  常に珈琲の香味を豆に充たせよ
 わからなくても歩いていけ 行けばわかるよ
  危ぶめば道はなし
  危ぶまなくても道はなし
  (鳥目散 帰山人 「珈琲の道」 CLCJ10周年記念詩)
 
 珈琲の道 (2)
創設10周年を迎えた今般、日本珈琲狂会はコーヒーの正体が「闇の中」にあると改めて示し、コーヒーの道を謳う。そも嗜好は執着にして執着は闇なり。珈琲の時に群れ情に同ずるは花とも光ともならず。珈琲の住するところを闇と知りて遊ぶべし。人に阿媚(あび)せず、人に諂諛(てんゆ)せず、ただ珈琲の香味を充たせよ。日本珈琲狂会の会員よ、この道を行けばどうなるのかと危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、危ぶまなくても道はなし。
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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